2005年6月17日号
新発田に赴任する覚悟を決めたころのこと、もう2年いじょう昔のことである。地図をたよりに、なれない町筋を歩いていて市立図書館の前に出た。正面玄関の左手の石版に、次のような文字が刻み込まれていた。 「此処...
新発田に赴任する覚悟を決めたころのこと、もう2年いじょう昔のことである。地図をたよりに、なれない町筋を歩いていて市立図書館の前に出た。正面玄関の左手の石版に、次のような文字が刻み込まれていた。 「此処...
ワシントン市はほぼ半世紀ぶりであった。ポトマック川の向こう側の墓地にケネディ元大統領の墓ができたことをのぞけば、市の全体はそう変わったところはない、という感じであった。 一日の自由時間は、懐かしいペン...
5月18日に成田を発って、アメリカ・アイオワ州のオレンジ・シティに向かった。敬和学園大学の創設にあたって、それを支援した新発田市と聖籠町には、いまも有力な方々からなるオレンジ会という組織があって、敬和...
東京での会議に出てから新発田にもどると、宴すでに酣(たけなわ)であった。新学期から加わった職員2人のための歓迎会である。 敬和学園はそもそもその創設に力を出してくれた新発田(しばた)市と聖籠(せいろう...
青山学院大学は久しぶりであった。ある会合に出るために訪れたのだが、半時間ほどあったので、構内を歩いてみた。さまざまのことを思い出す。日本英文学会で、生涯初めて研究発表を行なったのも、ここだった。40年...
新入生オリエンテーションが今春も胎内パークホテルで催された。学生委員会の皆さんがよく準備し、ご活躍くださった。幸いお天気はよかったが、雪の残る黒川村の渓谷は寒かった。 一日目は延原時行教授の「福音を恥...
入学式のあとの、4月8日に、例年「新入生歓迎公開学術講演会」というものを催した。今春は早稲田大学の東後勝明先生をお招きして、「生命(いのち)を育むことば」というタイトルのお話を頂いた。英語学、英語教育...
学園は新入生を迎えて、まさに「新」学期が始まった。キャンパスの桜はまだまだ遅咲きであるが、それでも早い枝はほころび始めた。 3月18日の卒業式と4月4日の入学式と、双方でヘンデルの「メサイア」の「ハレ...
4月4日はこの北越の地は、珍しい晴天に恵まれた。桜はまだだが、沈丁花(じんちょうげ)や馬酔木(あしび)は暖かい季節の到来を告げている。 新発田市民文化会館に新入生203名、編入4名、計207名をむかえ...
3月18日に第11回卒業式を行なった。141人が元気で学窓をあとにした。この若者たちが母校に「贈呈」してくれたのは、驚いたことに、ユリノキであった。 わたしが着任してから、新入生たちにはユリノキの植樹...