恩師から与えられた薫陶その3
関根正雄先生は大学院生を上から目線で指導するのでなく、一人の研究者として扱い、対論を出しなさいと言われたのです。それまでの教育現場の環境とは全く違っていたので、深く感動しました。研究に取り組むことにお...
関根正雄先生は大学院生を上から目線で指導するのでなく、一人の研究者として扱い、対論を出しなさいと言われたのです。それまでの教育現場の環境とは全く違っていたので、深く感動しました。研究に取り組むことにお...
陰謀が固められ、アブサロムのもとに集まる民は数を増したとサムエル記は伝えています(下15章12節)。古代イスラエル社会には、カナンの都市国家による支配をすんなり受け入れる素地はまだ育っていなかったので...
「四十歳になった年の終わりにアブサロムは王に願った。『主への誓願を果たすため、ヘブロンに行かせてください。僕(しもべ)はアラムのゲシュルに滞在していたとき、もし主がわたしをエルサレムに連れ戻してくださ...
高校までは決まった教科書があり、指導要領に従って教師が解説的にポイントを説明し、授業をするのが共通している光景でしょう。わたくしが経験した大学院のゼミは、そうではなかったのです。大きな教室でなく大学に...
「その後、アブサロムは戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた。アブサロムは朝早く起き、城門への道の傍らに立った。争いがあり、王に裁定を求めに来る者をだれかれなく呼び止めて、その出身地を尋...
「アブサロムはエルサレムで二年間過ごしたが、王の前に出られなかった」(サムエル記下14章28節)とあるので、エルサレムへの帰還を認めたけれども、兄弟殺しについて王はまだ彼を赦していなかったことを物語っ...
どきどきしながら呼び鈴を押した感覚は今でも覚えています。何かが始まる予感がありました。書斎に通されてご挨拶を申し上げたのですが、教室と違ってにこやかに接して下さったのでびっくりしました。どんな問題に関...
アブサロムについて「毎年の終わりに髪を刈ることにしていたが、それは髪が重くなりすぎるからで、刈り落とした毛は王の重りで二百シェケルもあった。アブサロムには三人の息子と一人の娘が生まれた。娘はタマルとい...
ヨアブはアブサロムを連れ戻すことに成功しましたが、「だが王は言った、『自分の家に向かわせよ。わたしの前に出てはならない。』アブサロムは自分の家に向かい、王の前には出なかった」(サムエル記下14章24節...
関根正雄先生の指導の厳しさは知れ渡っていました。博士課程でご指導を受ける前から、こちらは身構えていたのです。夜間講座でご挨拶をして、名前を覚えていただいたのですが、将来何をするのかと尋ねられた記憶があ...