バドミントン部ブログ

オリンピックの思い出

前回は翔と翔治の壮行会のことを書きましたが…
今回は自分がオリンピックに出場した時のことを少し書きたいと思います。


私はソウル・バルセロナ・アトランタ3大会のオリンピックを経験したのですが、ソウルは公開競技の選手として、アトランタは男子監督としての経験なのであまり思い出もなく(ベン・ジョンソン選手に選手村で会ったくらい?)、やはり選手として出場したバルセロナのことを書きます。


バルセロナは初めてバドミントンが正式種目となったオリンピックで、皆さんが覚えているのはおそらく競泳の岩崎恭子選手や柔道の古賀稔彦選手・吉田秀彦選手の金メダルではないかと思います。


また、バドミントンの他にも女子柔道や野球も初めて正式種目となったオリンピックです。


競技の結果については、同じ初参加の女子柔道や野球がメダルを取ったということでバドミントンだけメダルが無く残念な結果でしたが、私と松野のダブルスが日本チーム最高の5位入賞を果たしました。

日本選手団の本部では毎日、その日の成績が出るのですが(8位入賞まで)、そこに自分の名前が表示された時は日本の選手の一員として結果を出せたことがすごく嬉しかったです。

また、オリンピックの記憶については、競技以外の方が色々と残っていて(笑)、バドミントンは大会中盤の日程だったので本来であれば開会式も閉会式も参加させてもらえなかったのかもしれませんが、初の正式種目ということもあり、特別に?両方参加させてもらいました。

開会式の旗手がバレーボールの中田久美選手、選手団キャプテンが柔道の小川直也選手だったような気がします。閉会式に参加した時にはあらためて自分はすごいところに出ていたんだなと強く実感したのも覚えています。
また、オリンピックの期間中に他種目の選手、レスリングの選手やテニスの伊達公子選手と仲良くなったこともいい思い出です。


大会後に帰国してからは、入賞したということで、首相官邸(当時は宮沢首相でした)のパーティーに招かれたり、さらに天皇陛下にお会いする機会まであったりと貴重な経験をさせてもらいました。
天皇陛下とはお話しできませんでしたが、皇太子殿下とお話しできたことは今でも忘れられません。

私がバルセロナに出場したのは28歳の時。選手としてのピークであり、世界で活躍していたのが24歳から26歳の頃だったので、ソウルから正式種目であれば…(公開競技では3位銅メダル)という気持ちはありますが、逆を考えれば、世界で結果を残していた偉大な先輩方が出場できなかったオリンピックに自分が現役時代に出場できたのはラッキーだったなとは思います。


帰国後のセレモニーでは、今ほどバドミントンがメジャーじゃなかった頃でしたし、メダリストに囲まれて入賞しただけの私たちは端っこで小さくなっていましたが、今回の選手団のみんなには歴史を変えるメダルを取ってきてもらい、胸をはってセレモニーに参加してほしい。


頑張れニッポン!!