チャペルのひびき

平和を求めて戦うこと

チャペル・アワーにおいて、片岡宝子先生(日本基督教団東中通教会牧師、本学理事)が、『旧約聖書』中の「詩篇」の一つをテキストに、「神への賛美」ということについて教えてくださいました。死の淵の中から呼び求める者たちを、神さまは捨ておくことはせず、慈しみと憐みをもって救い出し、いのちの回復の恵みをお与えくださると共に、多くのよきもので満たしてくださることを聖書は言い表しています。この憐みと慈しみの神を知ることのできた者たちの、喜びと感謝の歌が賛美であり、その歌は、闇を貫く光の歌、この未来の見通しにくい世界の中にも確かな声音をもって響いている希望の歌であるということを片岡先生は教えてくださったように思います。アッセンブリ・アワーにおいては、和田献太郎先生(キリスト教教育主事)が、「平和学」という学問領域について、また現代におけるその代表的な提唱者であったヨハン・ガルトゥングという人の考えを、それに触発されながら真摯に深められたご自身の考えを交えながら、紹介くださりました。平和とは、争いのない安穏とした状態のことを指すのではなく、差別や貧困や飢餓といった、人権が損なわれてしまうような事態を取り除くために、不断に、積極的に戦わなければならないダイナミズムに満ちた人間の営為であることを知ることができました。「助けて」と叫ぶということも、平和とは無縁ではないことを先生は語られましたが、日々の歩みの中で神よりの助けを求めて声を上げた詩篇の詩人たちも、不断に平和を求めて戦った人たちであるのではと、ふと覚えました。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「賛美を新たに」 日本基督教団東中通教会牧師 片岡宝子 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 新任職員スピーチ「平和学のすゝめ」 キリスト教教育主事 和田献太郎 先生

<参加学生の感想>
感想1) 片岡先生の「どんな音が好きですか?」という質問はとても引きつけられました。自分はどんな音、音楽が好きなんだろう、と考えさせられました。讃美歌がいくつもあることに驚きましたし、キリスト教徒なら誰でも歌えるような讃美歌があることにも興味を持ちました。喜びと嘆き、どちらも讃美歌に入っていることを聞き、どうして嘆きも入っているのだろうと疑問に思いました。ほとんどの音楽は人から人に向けて歌っているのに、讃美歌は人から神へ向けて歌っている、改めて考えるとすごいなと思いました。「天使にラブソングを」という映画を見たことがあったのですが、そこで主人公と仲間が讃美歌を歌っていることを思い出しました。キリスト教にとって、讃美歌はとても大切なものなんだと思いました。
感想2) 平和に種類があるとは思いませんでした。規制的な攻撃と暴力を分けたガンジーの考えはすごいと思います(よくない行為だけを憎んでその行為をした人を憎まずにいるのは難しいからです)。差別などがなくならないのは、差別をしている人のせいではなく、「差別していることで社会が成り立っているから何もしないでほしい」と思っている多数の人たちのせいなのが悔しいです。なぜ差別があるかを明確にして、改善していくことは大切だと思いました。和田先生と同じで私も「助けて」と言えないので、これからは適度に言いたいと思います。
感想3) 平和を目指すということは敵を打ち負かすことではなく、相手の中にある憎悪を取り除くことであるという部分が心に残りました。また、キング牧師の言った敵を認識することと平和を目指すことは矛盾しない、違った考えや立場を認識することから、改善が始まるという点も重要だと思いました。日本は、〇〇がないから、〇〇が起きていないから平和だといった消極的平和の状態にあり、これを積極的の状態へ進めていくには、多くの困難があり、また長い時間を要すると思います。しかし、すべての人々が、自分らしく生きがいを持って、人生を歩めるようになるためには、これに取り組む必要があると思います。自分も平和とは何か、深く考え、そのためにできることを一つひとつ始めていきたいと思います。