チャペルのひびき

この小さな人の一人にしたことは

チャペル・アッセンブリ・アワーは、自然写真家の森本二太郎先生を遠路はるばる岡山県よりお迎えしての恵みに満ちた時として守ることがゆるされました。第1部においては、本学の校歌の歌詞に触れながら、またトルストイ童話の中の「靴屋のマルチン」のお話に言及されながら、助けを必要とする一人の人の傍らに立ち、手を差し伸べてゆくことの大切さについて、お伝えくださいました。助けを必要とする全ての人にすることはできないが、その中の一人にであっても、真摯に向き合い手を差し伸べることは、主イエスに対してすることに等しいこと。また、一人の人に心を込めてなしたことは、必ずや周りの人々に連鎖し、平和の礎となることを、教えてくださいました。第2部においては、神さまが創造されたこの世界の奥深き神秘に対する驚きと畏敬の念が結晶化されたかのような珠玉の作品の数々をご紹介くださりながら、子どものころは誰もが持ち合わせていた「センス オブ ワンダー」を取り戻すことの大切さを教えてくださいました。頭上に、足元に、前に、背後に息づく、小さな自然の美しさに気づき、心を込めて向き合うことも、「平和へのこみち」であることを教えられたように思います。お写真に写っていた生きもの(動物、植物を問わず)を、「この人」とお呼びになられていたことが、心に残りました。先生にとって、写真撮影の営みは、この「小さな人にしたこと」として、主イエスにささげられた愛の業なのだと気づかされました。(下田尾 治郎) 

Ⅰ.チャペル・アッセンブリ・アワー 
講演 「平和へのこみち」 写真家、元敬和学園高校教諭 森本二太郎 先生

<参加学生の感想>
感想1) 靴屋のお話を聞いて、新約聖書の「隣人となる」ということに通ずる話であると感じました。イエスの声を聞き、自分の家に訪ねてくるイエスのためだけにもてなす準備をしていたけれども、寒さに震え苦しい思いをしている人が来るたびに、彼はその人たちを快く迎え入れ、心からのおもてなしをする、という行動がまさしく、新約聖書で語られる愛、アガペーを示していると思いました。平和というのは、そうした人による行動からなり得るのだと考えました。後半に見た自然の写真は、どれも美しく、心が穏やかになりました。互いに寄りかかっている小さな植物の写真は、か弱い存在だけれども、心強い優しさを持っているように感じました。
感想2) 世界を見渡すと戦争や自然環境の破壊がいたるところで起きているし、私たちも無意識のうちに自然を壊しているかもしれない。しかし、そうではなく、自然の本来の姿や人間ではない生き物の命を感じながら生きること、自然と調和しながら生きることがまず大切であることを学んだ。また、人間同士の関わり方においても、出会った人と自分とを比較したり、違いを排除の対象としたりするのではなく、「一人の人」「同じ人間」として関わることの大切さを理解した。傍らに立って隣の人に向き合い、自分に今ある力、時間をすべてその人のために割く生き方は非常に難しいと思うが、それが理想の生き方である、私もそのように生きることができる人になりたいと考えた。それこそが平和に生きる道であることを教えられたし、そのような生き方をする人が増えれば平和な世界をつくり出すことができるのだという希望を感じた。私もそのような生き方ができるよう、少しずつでも努力し続けたい。