仲直りするのはむずかしい
仲直りできない、ということは誰もが抱えている悩み事だ。ゆるして欲しいと私たちは思うけれど、他人をゆるしてあげようとは、なかなか思えない。私たちを根本でゆるしてくれる方に行き合ったなら、きっと私たちは...
仲直りできない、ということは誰もが抱えている悩み事だ。ゆるして欲しいと私たちは思うけれど、他人をゆるしてあげようとは、なかなか思えない。私たちを根本でゆるしてくれる方に行き合ったなら、きっと私たちは...
挨拶を一つすることの中にも勇気がいる。気の合わない人もいるし、けんかをしている相手もいる。だから、一歩ふみ出して挨拶することは、過去の自分をのりこえることであり、未来の平和をつくり出すことである。2...
大倉喜八郎について村上勝彦先生に話していただいた(村上先生はこの春まで東京経済大学学長、同大学は大倉喜八郎によって創設された)。「目からうろこ」とはこの事で、新発田出身の破天荒なベンチャー企業家がい...
「あなたがたは世の光・地の塩」と、マタイ福音書にはあるけれど、ルカ福音書には「世・地」という言葉は出てこない。端的に、塩が塩であること、暗い部屋の中、灯火が闇を照らしていることのかけがえのなさが告げ...
「自分自身に向かって歩き出せ。」父親の財産の分け前を受け取った息子は、遠い国に出かけて全てを使い果たしてしまう。救いようのない生活の中、彼は初めて自分自身にたち返る。どこか遠くではなく、今、ここにこ...
毎年、秋になると藤野先生のところに、花いんげん豆が届く。24年前に出会った草津のハンセン病療養所に暮らす友人からだ。差別されている人々のところに出かけて行き、一つひとつの出会いを大切にされた、主イエ...
絵本作家のエイキミナコさんは中学生のときに骨髄移植を受けた。入院中に描いた絵を見た男の子が「ボクね、この絵なんど見てもあきないんだ」と言ってくれた。その声がエイキさんを今の仕事に導いた。骨髄を提供して...
毎年5月のチャペルの内、一回は高校から説教に来ていただいている。同じ学園ではあるけれど、高校は新潟市、大学は新発田市・聖籠町にある。だから、この春、敬和学園高校から入学した学生たちは、2カ月ぶりの再会...
私たちのチャペルの時間は、礼拝と講演の二部構成です。この日の聖書はマタイ福音書25章でした。「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたのである。」自分の側の考えで「してあげる」...
青空の下、皆で庭に出て、入学記念の木を植えました。ならんで立っている先輩たちの木にくらべれば細い幹ですが、身をおこして、けなげに立っています。大地にしっかり根をおろし、木はじっとその場所を動きません。...